
どんなときも笑顔を絶やさない
大きな愛でまわりを照らす、
優しさと厳しさの素顔
菓匠FUKUROU 代表/和菓子職人 中山美奈さん
公開日:2025年12月19日

「お店には毎日、小さなドラマが生まれている」
Peops(ピープス)では、様々な分野で活躍する人々の情熱や想いに迫ります。
今回は、地域に愛される和菓子店「菓匠FUKUROU」の中山さんに、笑顔の魔法をかける秘密を伺います。
「地元の神様に守られて、この街のみなさんに愛される店になりたい」
その想いを胸に、FUKUROUは、今日も手作りで一つひとつお菓子を焼き続けています。
お客様を笑顔にするために、中山さんが大切にしていることとはーー?
取材にご協力いただいた人

- 中山 美奈 さん
- 菓匠FUKUROU 代表/和菓子職人
- 18歳から和菓子の修行に入り24歳で愛娘を出産。ひとりで子育てをしながら、36歳で念願のお店を開業。一年中、陽気なラテンミュージックを聴いて前向きな気持ちで過ごしています。太陽と音楽と仲間が大好き。「忍耐を楽しみに変える、和菓子のお祭り人」和菓子づくりは忍耐の連続。けれど私はそれをお祭りの準備だと思って楽しんでいます。素材は安心できるものを選び、お客様の大切な家族や子どもたちに笑顔で食べてもらえるお菓子を届けたい。仲間と共に、人生の辛ささえも笑顔に変える、優しいお菓子をつくり続けています。
36歳で老舗和菓子屋さんから継いだ伝統

中山さんが高校時代に触れていたのは、日本の伝統芸能でした。
能や狂言の所作、三味線のやさしい音。
いつのまにか、「日本の文化を伝える仕事ができたら」と、静かに思うようになっていったそうです。
高校を卒業して間もなく、近所の和菓子店にふらりと立ち寄った。
ショーケースには季節の上生菓子が並んでいて、松茸や栗、柿の形や色彩に心が踊り、目に焼き付きました。
手に取ったのは、ひとつのどら焼き。
ひと口で、「こんなに美味しいどら焼きがあるんやー!」と、思わず声がこぼれたといいます。
後日、店に電話をして「ここで働かせてください!」とまっすぐに伝えました。
新卒は採用していないこと、重労働で女性は雇わないこと――そんな言葉がありましたが、気持ちは揺れませんでした。空手で鍛えた体力と、やりたいという思いを丁寧に話し、10人の応募者の中から、中山さんと男性の2人が選ばれました。
出勤は朝6時。けれど、その頃には仕込みが終わっていることも多く、全部の工程を身につけたくて、師匠に始業の時間を尋ね、毎朝3~4時の仕込みを手伝うことにしました。
米の蒸気がふわりと立つ、まだ暗い厨房。師匠の手元を見つめ、少しずつ自分の手に覚えさせていきました。
師匠は穏やかな人で、素直に学ぶ姿勢を見て、褒めて育ててくれました。
「全部教えるから、それで自分の店を出しなさい」と、背中を押してくれたそうです。
それからは、大阪、奈良、堺の和菓子店の現場で腕を重ね、和菓子の仕事は18年に。
開業を決めて退職し、物件を探し始めた頃に耳にしたのが、大阪市内の老舗 松屋が事業継承者を探しているという話でした。
店を訪ねると、店主のあたたかな人柄と、お客さんのやわらかな笑顔が迎えてくれました。
しばらくのあいだ近辺の、来客数や人通り、年齢層、客単価を自分で調べ、数字を並べて採算を見つめました。
店主の誠実さ、品の良い客層、そして長く続いてきた伝統。その三つが、ここで新しく始める決心につながっていきます。

老舗 松屋から引き継いだ看板商品は、かりんとう饅頭。
経営者が変わっても、これまで通ってきたお客さまのために松屋の美味しさを残したい。
何より、餡がとてもおいしくて、和菓子の命である餡の炊き方を店主から学び直し、製法はそのままに、工程は少しずつ効率化。
昔からのお客さまにも、変わらない味をお届けする―その選択は、この土地で続けていく覚悟のあらわれでした。




一級建築事務所のUEO(上田さん)
資金は、決してたっぷりではありませんでした。
そんな時に出会えたのが一級建築事務所のUEO(上田さん、大坪さん)。
改装をお願いすると、予算に合わせて、細やかな工夫を重ねてくれます。
暖簾は布を買ってミシンで縫い、中山さんがラフに描いたイラストを整えて暖簾にプリント。
塗り壁やベンチのタイルは、自分たちで資材を探して、手で仕上げました。
倉庫で見つけた木の切れ端に、OPEN/CLOSEの絵をささっと手書きで描いてくれたり、手造りの温かさに溢れています。

そして、オープン当日の朝。風に揺れる暖簾の向こうには、想像をはるかに超える長い行列。
想像していたより遥かに超えていて、内心「大丈夫かな……」と不安ななか朝から晩まで支えてくれたスタッフ、改装をお願いした一級建築士のお二人、昔からの職人仲間も、現場に入って手を貸してくれました。
そのおかげで、ひとりではきっと届かなかった場所に、立てたのだと思います。
「ほんまに、まわりの人に恵まれていて、ありがたいなぁ」その言葉が、胸のあたりに、今でもやわらかく残り続けています。

